海と、手。
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一粒の真珠ができるまでには、
思っていたより、
はるかに長い時間が必要。
その時間を、
慶良間の海で、
一人で積み重ねている人がいる。
国立公園に指定されている、
慶良間諸島。
その海で生まれる真珠は、
珠入れから始まるのではなかった。
単細胞微細藻類を培養し、
種苗を育て、
貝を育て、
珠を入れ、
さらに育て、
真珠を取り出す。
一粒の真珠が生まれるまでの、
そのすべてを、一人で。
初めて、
種苗センターを訪ねたときのこと。
正直、
少し驚いた。
そこにあったのは、
真珠が生まれる場所として
想像していたものとは、
まったく違う景色だった。
見たこともないほど大きなタンク。
静かな室内に並ぶ水槽。
棚には、
いくつものビーカー。
その中で、
稚貝の餌となる単細胞微細藻類が、
静かに培養されていた。

まるで、
研究室のようだった。
一粒が海で育ちはじめる、
そのずっと前から、
人の手と知恵が重ねられている。
私はそこで、
改めてそのことを知った。
話を聞かせてくれたのは、
ケラマパールの生みの親である養殖家。
工程について話すとき、
その表情は、
技術者のものだった。

慶良間の海は、
養殖するには水温が低い。
だから、
真珠層の結晶が小さくなる。
ケラマパールのやさしい色は、
この海の色。
ふと、
「なぜ、
慶良間だったんですか」
と尋ねた。
真珠と向き合って、
三十年あまり。
少し間があって、
「いろいろと理由はあったんだけどね。
でも、まあ、
結局は、
ここに呼ばれたんだ」
そう笑顔で言った。
始まりからの長い時間を、
振り返るような表情だった。
貝が生まれてから、
一粒の真珠になるまで。
最短でも、
四年半。

人が手をかけ、
海の中で長い時間を過ごし、
ようやく、一粒になる。
けれど、
最後に決めるのは自然。
海のことは、
思うようにはいかない。
もちろん、
貝の状態も。
だから、
同じものは、ひとつとしてない。

今年、慶良間で見た月は、
満月まで、あと一歩だった。
雲にかかり、
海面へまっすぐ光を伸ばしていた。

満月ではない。
すべてが見えているわけでもない。
それでも、
その夜の月は美しかった。
月は満ちて、欠けて、
同じ姿にとどまらない。
満月は、
月の完成ではない。
満ち欠けの途中にある、
ひとつの姿。
ケラマパールも、
まんまるであることが
完成ではないと感じる。
色も、形も、
それぞれが海の中でたどり着いた姿。
まんまるな珠も、
そうでない珠も、
その一粒の完成された姿。
真珠は、
生き物から生まれる唯一の宝石。
その言葉の意味を、
以前よりもっと、
深く感じるようになった。
養殖家の手を離れた真珠を、
今度は、私が手に取る。
珠を選ぶとき、
まずは、直感。
色を見て、
形を見て、
光の中で、角度を変えて見る。

ただ、
一粒ずつ選びながら、
この真珠は、
どんな時間を過ごしたのだろう。
海は、
どんな様子だったのだろう。
そんなことを、
ぼんやりと考える。
そして、
その一粒が、
いちばんその一粒らしくいられる姿を探していく。
海で育った時間を消さずに、
身につける人の時間へ、
つないでいくために。

・kerama pearl(ケラマパール)― K18 gold
Perché?
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